2020年01月16日
12月23日生まれ
武藤敬司 (プロレスラー)
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1962(昭和37)年12月23日、山梨県富士吉田市出身。
小学校2年生のときにドラマ「柔道一直線」を見て柔道を習い始める。学年で一番背が高かったにもかかわらず、バク転やバク宙、鉄棒の大車輪を器用にこなす運動神経の持ち主であった。高校時代には国体に出場している。
1984(昭和59)年、新日本プロレスの選手が利用していた接骨院に勤務していた東北柔道専門学校の先輩から新日本プロレスを紹介され21歳で入門。同年10月4日にデビュー。1985(昭和60)年11月に初の海外遠征(米フロリダ地区)に出発。ホワイト・ニンジャというリングネームで活動し、当初はベビーフェイスだったが、タッグマッチでパートナーのワフー・マクダニエルを裏切りヒールに転向した。その後はアラバマのコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングで活動し、1986(昭和61)年9月1日、NWA USジュニアヘビー級王座を獲得した。
帰国後、宇宙飛行士のヘルメットをかぶり、ブルゾンタイプのガウンに胸元に“610”(「ムトウ」の意)と書かれたものを着用した「スペース・ローンウルフ」なるギミックで売り出されるがファンの支持を得られず失敗。1988(昭和63)年1月から、二度目の海外遠征に出発。カルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCではベビーフェイスのスーパー・ブラック・ニンジャとして活動し、同年2月6日にインベーダー1号からTV王座を、5月14日にミゲル・ペレス・ジュニアからプエルトリコ・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した。WWCを離れフリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのWCCWに活動拠点を移す。そこでの活躍で、NWAのジム・クロケット・プロモーションズ(後のWCW)へスカウトされ、ギミック上はザ・グレート・カブキの息子という設定のグレート・ムタとして、ヒールのポジションで登場。当時のアメリカでの悪役人気は絶大で、スティングやリック・フレアーとの対決で活躍した。帰国後も、武藤は様々なコスチュームで「グレート・ムタ」を登場させた。
1990(平成2)年4月に凱旋帰国。同時に赤(時折オレンジ色)のショートタイツにコスチュームを変え、やがて人気・実力ともに絶頂期を迎える。
以降、1990年代から2000年代にかけてプロレス界を牽引。蝶野正洋、橋本真也とならぶ闘魂三銃士の1人で、「日本マット界の至宝」と言われる。プロレスに必要なパワー、スピード、テクニック、センスを極めて高い次元で併せ持った選手として、その素質故に「天才(GENIUS)」、「平成のミスタープロレス」、「レジェンド」、「天才を超えた魔術師」、などの賞賛をほしいままにして来た。アメリカでの実績から現在活躍している外国人レスラーの中にもファンは多く、彼らからは敬意を込めて「マスター」などとも呼ばれている。
プロレスをやる傍ら、俳優やタレント業の仕事も多くこなしているレスラーとしても知られており、プロレスラーの中でもかなりの人気・知名度を得ている。映画初主演した「光る女」は、プロレスラーとしては実に力道山以来の主演映画となった。
娘はタレントの武藤愛莉。
(wikipediaより引用)
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お誕生日おめでとうございます。
Posted by イリー・K at 13:47│Comments(0)
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