2019年09月27日
9月27日生まれ
大杉 漣 (俳優)
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1951(昭和26)年9月27日、徳島県小松島市出身。
1970年代に人気を呼んでいた、蜷川幸雄、寺山修司、唐十郎らの演劇に通い、1973(昭和48)年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用される。同年6月、22歳で別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした。1974(昭和49)年、23歳の時に太田省吾創設の転形劇場に入る。台詞なしに静かに舞台を歩んで演じる「沈黙劇」を原点として、舞台俳優としての本格的な活動を始め、転形劇場での活動に打ち込む。
1980(昭和55)年に新東宝映画のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画俳優としてデビュー。日活ロマンポルノや新東宝映画などのピンク映画に積極的に出演するようになった。1988(昭和63)年の片岡修二監督の『地下鉄連続レイプ・愛人狩り』を最後にピンク映画への出演を控え、転形劇場での舞台活動に専念するが同年に解散。37歳で活動基盤を失ったが、宮沢章夫作品や太田省吾作品への出演、岩松了作品における竹中直人とのコラボレーションなど、演劇界で活動を続けた。
1989(平成元年)年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演を続ける。40歳代に入り、種々のステップアップを図る一環として北野武監督による『ソナチネ』(1993年)のオーディションを受け、遅刻したにも関わらず合格。とはいえ当初与えられたのは単なるやくざ事務所の電話番という、台本に台詞のない端役だったが、たけしの「全部アドリブでやって」という指示に対し、大杉が演じたヤミ金の取り立ての演技にたけしが「うめえな、この人」と感心、脚本を書き換えて役を大きくしたところ、「最後までうまくやっちゃった」という。この作品での演技が転機となり、映画界において演技派の一人として知名度を得ていく。その後、同監督の『HANA-BI』や、SABU監督の『弾丸ランナー』、崔洋一監督の『犬、走る DOG RACE』などにおいて実力を発揮し、1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞して、映画以外にもテレビドラマへの主役・主要キャストとしての出演が増加すると、その名は広く一般に認知されるようになった。繰り出す演技は幅広く、様々な役柄を演じ、「300の顔を持つ男」「カメレオン」などの異名を得る活躍を見せ、高橋伴明、中村幻児、周防正行、滝田洋二郎、黒沢清、井筒和幸、廣木隆一等のピンク映画系出身の諸監督から、北野武、SABU、鈴木俊之、磯村一路、小松隆志、三池崇史、落合正幸など、日本映画界の多くの監督作品に出演した。
映画からNHK大河ドラマ、NHK連続テレビ小説、2時間ドラマ、Vシネマ、インディーズ、ドキュメンタリーのナレーション、バラエティー番組をはじめ、アジア圏の外国映画や内外合作映画にまで、各ジャンルに出演。その本数も多く、バイプレイヤーの代表格として極めて精力的な活動を行っていた。
2018(平成30)年2月20日深夜、主演ドラマのロケ先にて体調不良を訴え救急病院へ搬送されるも容態が悪化し急性心不全のため永眠。66歳だった。
(wikipediaより引用)
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お誕生日おめでとうございます。
Posted by イリー・K at 14:00│Comments(0)
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