2019年07月27日
7月27日生まれ
大山倍達 (武道家)
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1923(大正12)年6月4日、当時日本領であった朝鮮全羅北道金堤市生まれ。韓国の戸籍では1922年7月27日生まれとなっており、通例の1923年生まれでは新暦と旧暦の誕生日が一致しないため、実際の生年は1922年と推定される。
幼少期は満州国と朝鮮半島で育ち、16歳で日本一の軍人を志し、山梨県の山梨航空技術学校(現・日本航空高等学校)に入学。きつい肉体労働でアルバイトをしながら学校へ通い、当時難関であった陸軍士官学校へ入学する為の受験勉強も少ない時間の中で行うという苦学生の身であった。
1943(昭和18)年6月に空手道を松濤館流の船越義珍に師事、その後松濤館流と剛柔流を主に学ぶ。1947(昭和22)年に京都で開催された戦後初の空手道選手権で優勝、その後は日本国籍を離脱し韓国籍となるものの、日本で活動を続ける。1952(昭和27)年にプロ柔道の遠藤幸吉四段と渡米、1年間ほど滞在して全米各地で在米のプロレスラーグレート東郷の兄弟という設定(Mas. Togoのリングネーム)で空手のデモンストレーションを行いながら、プロレスラーやプロボクサーと対決したとされる。帰国後大山は、牛を素手で倒し(合計47頭、うち4頭は即死)、その映像は映画『猛牛と戦う空手』1954(昭和29)年として公開された。
多くの武道家と交流し、また世界各国を巡りさまざまな格闘技を研究、空手の指導を行い、直接打撃制の空手(極真空手-フルコンタクト空手)を作り出した。短期間ではあるが、1956(昭和31)年に大東流合気柔術の吉田幸太郎から合気柔術とステッキ術も学んだ。その他、講道館柔道を曾根幸蔵九段に、ボクシングをピストン堀口にそれぞれ師事。
目白の自宅の野天道場、池袋のバレエスタジオ跡の大山道場を経て、1964(昭和39)年国際空手道連盟極真会館を設立し、数々の名だたる弟子・名選手を輩出している。多くのフルコンタクト系各流派を生み出す元ともなった。
大山の姓は、書生として住み込んでいた大山家(大山茂、大山泰彦の実家)の恩義から名乗ったとする説があり、日本名にも使った「倍達」とは、檀君神話に登場する伝説上の古代王朝・倍達国から。朝鮮民族は「倍達の民」「倍達民族」を美称として使うことがある。
1994(平成6)年4月26日、71歳で死去。
(wikipediaより引用)
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お誕生日おめでとうございます。
Posted by イリー・K at 22:26│Comments(0)
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