2019年07月21日
7月21日生まれ
川谷拓三 (俳優)
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1941(昭和16)年7月21日、旧満州国新京(長春)生まれ、高知県安芸市育ち。
敗戦により6歳のとき一家で満州から引き揚げ、安芸市(当時・安芸郡安芸町)に住む。中学に入学した頃、マーロン・ブランドの『乱暴者』を見て、自分も映画俳優になろうと決意し、中学卒業後の1957(昭和32)年4月に京都へ向かった。1959(昭和34)年秋にエキストラ・グループに入り、美空ひばり主演の東映作品『ひばり捕物帖 振り袖小判』で死体役としてデビュー。半年後、東映京都撮影所の大部屋俳優募集に応じ、1960(昭和35)年4月入社。役らしい役がついたのは1964(昭和39)年の『三匹の浪人』から。1965(昭和40)年からぽつぽつ役名もつき、1967(昭和42)年の『日本侠客伝・斬り込み』でマキノ雅弘から初めて台詞をもらう。
1971(昭和46)年の『懲役太郎・まむしの兄弟』、ATG作品『鉄砲玉の美学』、東映作品『現代やくざ 血桜三兄弟』と、中島貞夫が川谷を起用し、『現代やくざ 血桜三兄弟』では日本映画初の全身火だるまになる役を体当たりで演じ、1974(昭和49)年には『史上最大のヒモ・濡れた砂丘』で初主演を果たした。前後して1973(昭和48)年から『仁義なき戦い』シリーズに出演し始める。第2作『仁義なき戦い 広島死闘篇』ではモーターボートで海中を引きずり回された挙句、木に吊るされピストルやライフルの標的にされて無残な死を遂げたチンピラに扮し、第3作『仁義なき戦い 代理戦争』では女に捨てられ敵に抱き込まれるチンピラ・西条勝治を演じた。『県警対組織暴力』(1975年)では、チンピラヤクザである松井卓を演じ、菅原文太・山城の両刑事に取調室でいたぶられる迫真の演技によって京都市民映画祭の助演男優賞を受賞した。深作欣二は『新仁義なき戦い』3部作(1974年 - 1976年)、『やくざの墓場 くちなしの花』(1976年)、『ドーベルマン刑事』(1977年)と川谷を配役し続け、その存在が次第に大きく認知されていくこととなった。
1975(昭和50)年に室田や大部屋仲間の志賀勝・岩尾正隆らと、酒飲み仲間としての集まりでピラニア軍団を結成。テレビや雑誌などで特集を組まれ、ピラニア軍団の総出演の映画の企画の一つとして翌1976年公開の『河内のオッサンの唄』で一般映画の初主演を果たし、同年『河内のオッサンの唄 よう来たのワレ』や『ピラニア軍団 ダボシャツの天』(1977年)にも主演した。
大部屋俳優として専属契約していた東映から独立し、1978(昭和53)年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』や、『愛の亡霊』に出演。1982(昭和57)年には、桜中学シリーズ・『3年B組貫八先生』(TBS)に主演、苦労人の担任教師・神崎貫八を演じた。その他多くのテレビドラマに出演した。
トーク番組やバラエティ番組(後述)にも多数出演しており、日本テレビ『EXテレビ』の「芸能才人図鑑」のコーナーにゲスト出演(1993年)、『いつみても波欄万丈』(1994年5月8日放送)、『CLUB紳助』、『痛快!明石家電視台』などにゲスト出演した。
1995(平成7)年12月22日、54歳で死去。
(wikipediaより引用)
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お誕生日おめでとうございます。
Posted by イリー・K at 23:35│Comments(0)
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