2019年06月30日
6月30日生まれ
マイク・タイソン (元プロボクサー)
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1966年6月30日、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区に生まれる。
少年時代、近所の不良少年達に嘲笑されいじめの対象にされ、大事にしていたペットの鳩を年上の不良グループの少年たちに目の前で殺され、我を忘れてその不良達を殴り倒したことから自身の強さに気付き、徐々に荒んだ生活へ進む。12歳までに51回も逮捕され、ニューヨーク州でも最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監。そこで更生プログラムの一環として行われていたボクシングと出会い、少年院のボクシング担当教官だったボビー・スチュワートから手ほどきを受ける。そのことがボクシングトレーナーのカス・ダマトに伝わり、タイソンの才能に驚愕した彼が身元引受人となったため少年院を出所後、ダマトの下でボクシングの英才教育を受けることになる。
まずはアマチュアボクシングでキャリアをスタートし13歳の時に初試合。数年間キャリアを積んでいき、ジュニア・オリンピックのタイトル等を獲得。アマチュアでの通算成績は記録に残っている中では52戦47勝5敗。
1985年3月6日に18歳でプロデビューし、ヘクター・メルセデスに1RTKO勝ちで初戦を白星で飾る。その後、通算27連勝し1986年11月22日、28戦目にしてトレバー・バービックに2RTKO勝利し、WBC世界ヘビー級王座を獲得。史上最年少(20歳5か月)で世界ヘビー級王者となる。翌年、1987年3月7日にはジェームス・スミスに判定勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得。さらに同年8月、トニー・タッカーに判定勝ちしてIBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功。
通算9度の防衛に成功することになるが、1988年に行われたマイケル・スピンクス戦後、カス・ダマトがその生前「グリズリーには近づいても、ドン・キングには近付くな」と絶対に組んではいけないと言っていたドン・キングにプロモートを受ける。それ以来、精彩を欠くようになり、一般的にこの1988年までがタイソンの絶頂期と言われている。その後、私生活は急激に乱れ、離婚騒動、自殺未遂、訴訟沙汰、交通事故、放蕩、練習不足、度重なった試合の延期など、リング外でのトラブルの話題が増えて、さらにはレイプ事件の疑いにより三年間収監され、自身の選手生命にも支障が出るようになってしまった。
リング上では緩慢で雑なボクシングを続け、1997年6月28日に行われたイベンダー・ホリフィールド戦では耳噛み事件(雑誌等で世紀の噛み付きとも称された)を起こし、2回の耳噛みにより3R終了時に失格負けとなった。
2005年6月12日、無名のケビン・マクブライドを相手に戦うも、年齢から来る体力の衰え、そして膝の怪我の影響からか動きに精彩を欠き、6ラウンド終了後棄権しTKO負け。正式な引退発表をしなかったが、結局はこれが最後の試合となり、1985年のプロデビューから2005年まで丸20年のプロキャリアに終止符を打った。
近年ではジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー“マイク・タイソン THE MOVIE”が第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映されたり、ドニー・イェン主演の人気映画シリーズ「イップ・マン 序章」「イップ・マン 葉問」に続くパート3「イップ・マン 継承」に出演、劇中ドニー・イェンとのアクションを披露した。映画はアジアの国々で大ヒットとなった。
現在はスタンドアップコメディアンとして活動している。
(wikipediaより引用)
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Posted by イリー・K at 12:00│Comments(0)
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