2019年06月26日
6月26日生まれ
具志堅用高 (元プロボクサー、タレント)
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1955(昭和30)年6月26日、沖縄県石垣市(石垣島)生まれ。
地元の中学卒業後、沖縄本島に渡り興南高等学校に入学。ボクシング部へ入部し天性の素質が開花。3年次でインターハイ・モスキート級優勝。同校卒業後に上京する。拓殖大学商学部の体育推薦入試に合格していたが、協栄ジムの金平正紀会長の命を受けた高橋勝郎マネージャーに半ば強引に勧誘され協栄ジムに入門。アマチュア時代の戦績は62勝(50KO、RSC)3敗。アマチュアでのクラスはモスキート級(45kg以下)であったが、当時のプロはフライ級(112ポンド=50.802kg以下)が最軽量級であり、具志堅もフライ級でデビューすることとなった。
1974(昭和49)年5月28日、牧公一(田辺)との4回戦でプロデビューしたが、僅差の判定勝ちに終わった。そのあとフライ級の下に新しくジュニアフライ級(現ライトフライ級)が新設されることになり、フライ級では体格面でハンデを感じていた具志堅も同クラスに転向、その後はようやく実力を発揮し始めるようになった。
日本上位クラスに4連勝(3KO)し、世界10位にランクされ、1976(昭和51)年1月23日、世界同級3位のセサール・ゴメス・キー(アメリカ)との「世界王座挑戦者決定戦」で7回KO勝ちし、世界王座挑戦のチャンスを得た。同年10月10日、"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に9戦目で挑戦。開始当初から軽快に動き回り、一発を狙う王者を回転の速い連打で圧倒。防御面でも天才的な動きを見せ、7回でKO勝ちとなり、沖縄県出身者初の世界王者となった。試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。その後13度の防衛に成功し、1981(昭和56)年3月8日、地元沖縄・具志川市(現在のうるま市)で開催された14度目の防衛戦でペドロ・フローレス(メキシコ)のKO負けし王座陥落。この試合を最後に現役を引退した。
引退後は解説者として活躍する一方、芸能界でのタレント活動にも参加。数々のバラエティ番組に出演し、「ちょっちゅね」に代表される陽気なイメージと、独特のキャラクターで人気を集めている。
1995(平成7)年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れ、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣らを育てている。2017(平成29)年5月20日には所属する比嘉大吾が前王者フアン・エルナンデスを破ってWBC世界フライ級王者となり、所属ジムから初の正規世界王者が誕生した。
生来のサウスポーだが、書き手は右手。ボクシングスタイルはファイタータイプ。トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。入場テーマ曲はメイナード・ファーガソンの「Conquistador」(征服者)。
(wikipediaより引用)
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Posted by イリー・K at 19:29│Comments(0)
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