2018年07月29日
5月29日生まれ
芦屋 雁之助 (俳優)
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1931(昭和6)年5月29日、京都府京都市生まれ。本名は西部 清(にしべ きよし)。
父は元来芸事、道楽事が好きであったため、戦後は営んでいた染物屋を辞め「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。そんな父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。その後京都の京都新京極の富貴、大阪の戎橋松竹中心に活躍、「若手漫才の有望株」といわれ将来を嘱望されるが、3、4年間コンビで活動したところで、演劇評論家の武智鉄二の勧めで突然漫才をやめ、1954(昭和29)年、開場した「OSミュージックホール」に入り、座付作者の花登筐のコントを演じるようになる。以来、花登にすすめられ、兄弟で喜劇役者に転身する。
1959(昭和34)年、花登が東宝から独立して結成した『劇団・笑いの王国』に大村崑らと参加。劇団の主軸を支える。同年3月にスタートした毎日放送の公開コメディー番組『番頭はんと丁稚どん』で、薬屋の番頭を演じ、「強面で下の者には厳しい半面、裏に回ると『(大阪の)おばちゃん口調』を使い、女性的な仕草を見せるキャラクター」で人気を集める。
1964(昭和39)年、劇団解散に伴い西部兄弟らは花登の下を離れ、小雁らとともに劇団「喜劇座」を旗揚げ。座付き作家であった藤本義一から、風貌が画家の山下清に似ている事を指摘され、それをヒントに藤本が舞台劇『裸の大将放浪記』を書き上げ、初演。評判となる。1969(昭和44)年、劇団解散。その後は活動拠点を東京に移し、喜劇だけでなく、本格的な演技派俳優として、活動の幅を広げる。
1980(昭和55)年『裸の大将放浪記』(関西テレビ・フジテレビ系『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』)で、かつて評判だった山下清役をテレビで再び演じることとなり、これ以降の当たり役となった。
2004(平成16)年4月7日、72歳で死去。
(wikipediaより引用)
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Posted by イリー・K at 03:24│Comments(0)
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