2018年07月10日
5月6日生まれ
海原 はるか (漫才師)
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1948(昭和23)年5月6日、熊本県熊本市生まれ。
1968(昭和43)年、役者志望で来阪し、喜劇俳優の曽我廼家明蝶が主催していた俳優養成所『明蝶学院』役者科の4期生として入る。1970(昭和45)年卒業後、先輩から「まじめに漫才やっていたらいずれ芝居の仕事も来る」と言われ漫才の道に入り、海原お浜・小浜の門下となり同じ一門の兄弟弟子と組む予定であったが頓挫。
共に役者志望で来阪し、歌手志望で上京したこともあったが芸界を離れトラックの運転手をしていた海原かなたへ同じく海原お浜・小浜の門下になるよう手紙で誘う。同年8月11日に大阪梅田のトップホットシアターで初舞台。
1970年代初頭は、中田カウス・ボタンを筆頭とする『アイドル漫才師』のはしりの内の一組であり、若者の風俗とスピード感溢れるしゃべくりを駆使し、次代の上方漫才の牽引コンビと目されながら数々の賞レースでは次席という、苦渋を舐め続けてしまう。その後、芸風が壮年になるにつれ、とちりの多さ、テンポや滑舌の悪さが目立ち出し、中堅扱いのままくすぶり続けた。
2000年頃、ネタの最中にひょんな事からはるかが実はハゲだった事が発覚、観客はもとよりかなたまで爆笑してしまった。しかしこれがきっかけで人気は急上昇、世間的な知名度も上がっていった。1・9分けとも言える髪の毛(片側の生え際の髪を長く伸ばしてハゲの部分を覆っている)に向かって、かなたが「フッ」と息を吹きかけると見事に髪がめくれて地肌が露出し、はるかが連獅子のごとく首を回すように振るとそれが元に戻る、という一連の流れを特徴とする。この髪の毛を飛ばす吹き方は高度な熟練技であるらしく、上手くピンポイントで吹きかけないと髪の毛が飛ばない。かなたは「初めての人がこれをやると上手くいったためしがない。でも私はこれを長年の経験から勘でやっている」とテレビ番組で語っている。
かなたが鞭代わりのスリッパで馬役のはるかを叩きまくる競馬ネタや、はるかが自慢の喉を披露する歌謡ネタなども持ち芸。元々役者志望だったため現在でも度々Vシネマや映画にも出演している。
(wikipediaより引用)
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Posted by イリー・K at 04:07│Comments(0)
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