12月27日生まれ

イリー・K

2020年01月23日 23:18




マレーネ・ディートリヒ (女優・歌手)
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1901年12月27日、ドイツ帝国・ベルリン生まれ。
幼くして父や継父を亡くし、生活費を稼ぐため酒場などで歌っていた。また、フランス語を独学で習得。18歳で国立ヴァイマル音楽学校に入学しヴァイオリニストを目指すが、手首を痛めて音楽家の道を断念した。1921年にマックス・ラインハルトの演劇学校に入学、翌年には『ナポレオンの弟』で映画デビュー。
1930年、ベルリンの舞台に立っていたところを映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグに認められ、ドイツ映画最初期のトーキー『嘆きの天使』に出演。大きく弧を描く細い眉に象徴される、個性的かつ退廃的な美貌は、100万ドルの保険をかけたと宣伝された脚線美とともに称えられ、加えてセクシーな歌声で国際的な名声を獲得した。同年、パラマウントに招かれてアメリカ合衆国に渡り、ゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ』でハリウッド・デビュー、アカデミー主演女優賞にノミネートされた(『モロッコ』は日本語字幕映画の第1作である)。『上海特急』でスターの座を確立する。
1939年、ナチス党を嫌いアメリカの市民権を取得して渡米。1940年代に入ると西部劇やブロードウェイの舞台にも立って活躍した。第二次世界大戦中の1943年からは、アメリカ軍のUSO(前線兵士慰問機関)の一員として活動、アメリカ軍兵士の慰問にヨーロッパ各地を巡り、反ドイツの立場を明確にした。
ラスベガスでのリサイタル依頼があり、成功をおさめ1950年代からは歌手としての活動が多くなり、アメリカ合衆国やヨーロッパを巡業。1960年には念願の故郷ドイツでの公演を行った。「裏切り者」と罵声を浴びせられながらも、暖かい歓待も受けるという彼女に対するドイツ人の複雑な感情を見せつけられた。1970年の大阪万博(EXPO'70)と1974年に来日してコンサートを行った。
1975年、コンサート中に足を骨折して活動を引退せざるをえなくなる。 引退後はパリに隠棲。1992年、90歳でこの世を去った。
(wikipediaより引用)
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