8月28日生まれ

イリー・K

2019年08月28日 15:28




宮川花子 《宮川大助・花子》(漫才師)
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1954(昭和29)年8月28日、大阪府大阪市出身。
高校卒業後、「偉そうにできる」「男にでもボロクソに言えてスカッとする」という理由で警官を志望し、大阪府警察に入庁。城東警察署で交通巡視員を担当し、違反検挙率トップを誇ったという。この間『素人名人会』(MBSテレビ)に出演し、落語『相撲場風景』を演じてトップ賞相当の「名人賞」を受賞した。
「花嫁修業」を名目に府警を退職した直後の1974(昭和49)年、中学の同級生だった吉田ハッチ(のちの中田八作)の紹介で、ハッチの師であったチャンバラトリオに入門。真琴の名で、ハッチ改め誠とコンビ「新鮮組」を組んだが、1年半ほどで解散。芸人を一時廃業し、万引き取り締まり保安員として警備会社に就職。先輩社員だった宮川大助と出会う。
1976(昭和51)年初頭ごろに大助を誘い、コンビ「宮川 大助・花子」を結成(吉本専属となった1979年11月を公式の結成年月としている)。双方の師匠の了解を取り付け、「宮川」を屋号とすることが決まり、花子の芸名はチャンバラトリオから取って「トリ子」とすることが決まりかけたが、花子は鶏肉が皮の毛穴に恐怖を感じるほど大の苦手であり、「そんな名を付けないとアカンのなら、漫才やめます」と猛抗議して変更された経緯がある。
結成当初は大助がよく喋り、花子がそれに相槌を打つスタイルであった。また、大助が花子を投げるなどする「どつき漫才」も演じていたが、生傷が絶えなかったので、周囲の勧めで花子がよく喋り、それに対して大助が鈍重に振る舞い、押されていくというスタイルに変更して評判を取った。その後、上方漫才の賞をいくつも獲得し、地位を確立した。
実際の夫婦でしゃべくり漫才を演ずる夫婦漫才の第一人者で、「いつまでもあると思うな愛と金」などのフレーズで知られる。
(wikipediaより引用)
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