3月31日生まれ

イリー・K

2018年05月01日 02:17




横井 庄一 (軍人)
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1915(大正4)年3月31日、愛知県海部郡佐織村(現愛西市)生まれ。
小学校卒業後は約5年間、愛知県豊橋市の洋品店に勤務。1935(昭和10)年、満20歳のため徴兵検査を受け第一補充兵役(補充兵)に編入される。のちに召集され帝国陸軍に入営、4年間の軍務の後に洋服の仕立て屋を開いた。
1941(昭和16)年には再召集され、満州を経て1944(昭和19)年からはグアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。同年7月にはアメリカ軍が上陸し(グアムの戦い)、8月に同島で戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965(昭和40)年10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
当時、グアム守備隊壊滅後も生き残った一部の将兵は山中に撤退しゲリラ戦を行っていたが、1945(昭和20)年のポツダム宣言受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことは知らされなかった。横井軍曹らはジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972(昭和47)年1月24日、エビやウナギをとるために罠をしかけに行ったところ、現地の鹿の猟をしていた住民に遭遇、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。
軍事教育を受け育った横井元軍曹は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で空港に出迎えに来た、斎藤邦吉厚生大臣に「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたと言う。またその後の記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど。」と発言した。これらの言葉をとらえて「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。
帰国後は、愛知県名古屋市中川区富田町に居住した。戦後の日本の変化に適応できるかどうかが心配されたが、驚くほど素直に戦後の日本に馴染んだ。しかし、戦前と帰国後でインフレーションから円の貨幣価値が変わっており(例えば帰国後の100円→戦前10円の価値)、全国からの寄付金の管理、横井の財産の管理は全て美保子が行っていた。その年に幡新美保子と結婚した後は、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演。当時の石油ショックに伴い、節約生活について自らの経験を語ったり、『日本沈没』等のブームに関連して災害時のサバイバルについて雑誌等でインタビューを受けた。
1997(平成9)年9月22日、82歳で死去。約20年後の2006(平成18)年6月24日に妻の美保子が私営を受け持つ形で横井庄一記念館を開館。これは名古屋市中川区の自宅を改装した記念館で展示の中心は、横井が竹藪に掘って住んでいた穴を、横井夫妻の知人の美術教諭が紙や竹などで再現した模型である。横井が帰国後に復元した、パゴ(ハイビスカス)の木の繊維を織る機織り機や、魚を捕るかご、ココナッツの実で作った椀なども展示されている。
(wikipediaより引用)
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